月刊 OKINAWAのかたち with 片岡メリヤス|5月
「キジムくん」をナビゲーターに1年を通してぬいぐるたちと沖縄についてゆるく、真面目に学んでいます。
4月に入って、湿度と気温が沖縄らしくなってきました。
この企画も7月までなのでもう後半。最後まで楽しくキジムくんに沖縄のこと、ぬいぐるみたちのことを教えていただきます。
キジムくん、ゆたしくねー◯
_
本企画について詳細はこちら↓
https://hamahiga-aruhi.net/news/62d4e8e10046075c36888e49
はいさい!キジムくんです。
ある日、の近所に何やらラーメン屋ができるって噂が島を飛び交っているよ。オイラはあそこかな、と思っているんだけど、もしそうなったら本当にある日、の近所だ。
ラーメン大好きだから楽しみだぞ。
さて今月はオイラにとって、そして沖縄にとって忘れられない日もあり、ちょっと熱が入っちまったな。
みんなの特徴も読んでってくれ。
_
*おまけ話
キジムナーには「大石林山」、「ガンガラーの谷」など古いガジュマルの木があるところに行けば出会えるかもしれません。
サンゴ礁の海に暮らすグルクンの頭が大好物。海に潜って漁をするのが得意でひとと一緒に漁に行ったり、人間と結婚したりもするなどひととの距離感が近い存在とされています。
そんなフレンドリーさもありながら、住んでいるガジュマルの木を切られたりして怒るとひとの命を奪うくらいとことん追い詰めてくる恐ろしい一面も持っているとか。「タコ、ニワトリ、熱い鍋蓋、屁」が嫌いなので、もしもの時は投げつけて逃げてくださいね!
*ぬいぐるみの特徴
キジムくんはよく寝てよく食べます。思ったより大食いで食べ散らかす癖があるので食材 を出しっぱなしにしていると大惨事になるでしょう。前髪がジャマをして近視になってし まった為、他のキジムナーより嗅覚が発達しています。匂いをかぐのが好きで人間も匂い で覚えます。人間とともだちになるために「ある日、」に住みついています。
_
◯ゴーヤーの日(5/8)
これまた「5(ゴー)8(ヤー)」ということで、平成29年に5月8日を国内栽培発祥の地である沖縄県がゴーヤー記念日にすると宣言したんだって。そもそもゴーヤーはインドや東南アジアが原産地で、そこから中国に伝わり沖縄にやってきたんだ。『琉球国由来記』という古い本によると1700年代には琉球国に入ってきてたって記述が残っているらしい。名称は沖縄の方言なので、「苦瓜」や「レイシ」と呼んでいるところもある。料理としてはゴーヤーチャンプルが有名だけど、オイラは梅といりごまの和物が好きでしょっちゅう作っているよ。5月から夏にかけて美味しい時期が続くし、食欲増進、夏バテや夏風邪予防にも良い健康野菜なのでこれからの時期、いろんな調理法で食べてみてくれよな。
*おまけ話
しっかりと苦味がある美味しいゴーヤーの選び方として、全体的に濃い緑色で太いものが良く、さらに表面のイボイボが細かく密になっているものほど新鮮と言われています。逆に苦味を抑えたものが好みの方はイボが大きくて薄い緑色のものを選ぶと良いでしょう。キジムくんが別名を「レイシ」と言っていますが、これはライチのことで、表面が硬くイボイボしているのがライチに似ていることからこの名がついたと言われています。ちなみに植物学上は全く関係ありません。また5月8日をひっくり返した8月5日は「裏ゴーヤーの日」と呼ばれています。5月~8月が旬のゴーヤーとして覚えやすい、かもしれません。
調理方法としては縦半分に切って中の種とワタをスプーンで取り除き、薄切りにします。苦味が気になる方は塩で揉むと和らぎます。あとは和物、漬物、サラダ、炒め物、天ぷらにとお好きな料理にして召し上がりください。
*ぬいぐるみの特徴
特徴:ゴーヤマン
「ゴーゴー!ヤー!」が合言葉。なにかと合言葉を言って気合いを入れたがる。毎日ゴー ヤ畑へ飛んで行って「ゴーゴー!ヤー!」と言いまくっている。合言葉を言うとどうやら ゴーヤがおいしくなるらしいが、仲間たちが食べられていることは全く気にしていない様 子。とにかく美味しく食べてもらうことが正義らしい。苦いゴーヤには食べながら「ゴー ゴー!ヤー!」と言うと苦味が減るらしいが本当かどうか怪しい。とにかくゴーヤマンが 現れたら「ゴーゴー!ヤー!」と言ってあげるとご機嫌になる。
_
◯デイゴの花(3~5月が見頃)
沖縄三大名花として知られ、県民投票によって1967年に沖縄県の県花に指定されたのが「デイゴ」だ。ハイビスカスが県花じゃなかったの?と思ったひとも多いかもな。おいらも好きなバンドTHE BOOMの名曲『島唄』の歌詞にも登場して一躍知られたんだとか。3~5月ごろが見頃で、大きな木になるため沖縄の街中でも見かけることができるぞ。なんと言っても鮮やかで力強い赤い花が印象的で、年によって咲く花の数が異なるため、見事に咲けば咲くほどその年は台風が多いという言い伝えがあるんだ。本当かどうかは疑わしいところだけど、なんだか楽しいやっさー。浜比嘉島にも言い伝えのある神様アマミキヨに由来する聖地である南城市の玉城城跡(正確には玉城青少年の家)にはデイゴの名所があるからぜひ行ってみてくれよな。
*おまけ話
デイゴはインド、マレー半島が原産で日本では沖縄が北限とされていて、花言葉は「夢」「生命力」「和」。キジムくんが沖縄三代名花と言っていますが、デイゴの他は「サンダンカ」「オオゴチョウ」と言われていて、いずれも赤い花が印象的です。ちなみに、沖縄の木といえばガジュマルをイメージする方も多いかもしれませんが、「リュウキュウマツ」(沖縄の方言では「マーチ」)が県木とされています。
*ぬいぐるみの特徴
特徴:天才的なデイゴくん
仲間内で天才的だと噂になっているデイゴ。何が天才的かと言うと、咲くタイミング、 色、咲く向き、散り方、、。天才的すぎてデイゴ仲間からの憧れが強く、サイン会を開く とデイゴたちで行列ができる。現在は『デイゴ咲く力』という本を執筆中で、デイゴ界の 中で今世紀最大のベストセラーになることが決まっている。未来が約束されたデイゴとし て、最近はハイビスカスからも注目を集めている。植物周波数の PM ラジオ (Plant Modulation ラジオ) でパーソナリティも努めているが人間には聞こえない周波数での放送 のため何を話しているかは永遠の謎。
_
◯沖縄返還の日(5/15)
1945年の3月26日、アメリカ軍が慶良間諸島に上陸。ここから3か月にわたる激しい戦闘が繰り広げられ、たくさんの民間人の犠牲者が出た。同年の9月に今の嘉手納飛行場で行われた降伏文書調印式はおいらもこっそり見にいったよ。このあとすぐ沖縄をはじめとする南西諸島を日本から分離する政策がとらたんだけど、1952年にサンフランシスコ講和条約が締結。それによって日本は国際社会に復帰するも、沖縄は日本から分離されたままアメリカの施政権下となったんだ。沖縄の土地は軍事政策により次々と強制収用され、米軍人による犯罪事件も相次ぎ県民の反発は高まっていったわけ。それ以前から日本復帰運動はあったものの、その活動はアメリカに弾圧されていったんだ。当時は反復帰論や沖縄独立などの声もありながら、土地の取り上げに反対する「島ぐるみ闘争」や「沖縄県祖国復帰協議会」(復帰協)の結成など県民の心は折れることなく日本復帰へと高まっていった。講和条約が結ばれた日を屈辱の日とした「四・二八沖縄デー」は日本復帰を要求する連帯の日となり、1963年4月28日には那覇で総決起集会が行われ、その波は東京にも及んだんだとか。ひととひとの声が呼応していったってわけだな。それからベトナム戦争が勃発、基地増設に急ぐ軍の動きもあって復帰運動は反戦平和運動とも繋がっていった。そんな中アメリカ政府も沖縄返還について本格的に検討し始め、基地機能の維持条件に返還を決定、日本側もこれに応じた。と言ってもその内容には様々な声があり、返還後の問題へとそのまま繋がってるんだな。1万人も参加したという抗議集会が行われるなか、沖縄復帰記念式典(1972年5月15日)で基地問題など消えない不安への不満を表明しながらも新しい県づくりに全力をあげる、と宣言した復帰後最初の知事となる屋良朝苗氏の声は今でも忘れられないわけよ。
*おまけ話
一言に沖縄返還と言ってもそこにうごめく国の思惑、住民たちの葛藤といった様々な思いを実はこっそり見て、肌で感じてきたキジムくんだったのでした(いつになく真面目で熱の入った説明でした)。キジムくんが言うように、県民の復帰への思いはアメリカ側からの弾圧に耐え、小さな波から大きな波へを繰り返しながら結果的に高まっていきました。そんななか反米感情が爆発した事件として1970年12月10日に起きた「コザ暴動」が知られています。復帰目前のさなか、米軍人による傷害事件が頻発。軍法会議では加害者である米兵に無罪判決を下されるなどするなか、騒動当日にコザ市(現沖縄市)の中心街で米兵による交通事故が起きます。事故処理に来ていた米軍の憲兵隊と民衆が睨み合いとなり、憲兵隊が威嚇発砲したことで民衆の鬱積した不満が爆発。6時間に及ぶ騒動で、80台以上の米軍関係者の車両が炎上し嘉手納基地雇用事務所やアメリカ人学校なも焼かれました。逮捕者21人、負傷者88人(米軍側61人、沖縄側27人)を出すも死亡者や命に関わるケガをしたひとはおらず、略奪行為なども起こらなかったそうです。
沖縄返還の日を見つめれば見つめるほど、負担の減らない基地問題、そこから派生する米軍による人権問題や雇用問題、環境問題、沖縄戦犠牲者の遺骨問題など復帰当初からの諸問題が50年経った今も残り続けていることが浮き彫りになります。
*ぬいぐるみの特徴
特徴:沖縄の地面くん
生まれた時から沖縄の地面として生きてきて沖縄を見てきた。急に誰かのものになった り、戦いが始まったり、国と国、政治に巻き込まれて、僕は毎日踏み潰されている。勝手 にそんなことをされると僕のことを全く見ていないようでとても悲しい気持ちになる。僕 のことを毎日の散歩道として見てくれている人は、僕の上をやさしく歩き、僕に咲いた花 に気付き、僕がケガをした時は心配をしてくれる。こういう日々の一人一人との付き合い をしていきたいだけなのに、いろんな問題が僕の上には漂っている。僕は僕の事を一緒に 考えてくれる人がいるとうれしい。僕の上を歩いたことがない人も、遠くに住む人も、僕 のことを無視せずに一緒に考えて欲しい。
_
さーこの企画もあと2回(7月まで)でおしまい。なんだかもう寂しい気持ちが押し寄せてきたけど、最後まで付き合ってくれよな。
では6月に、またやーさい!